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台風に大雨と、秋の爽やかさを感じることもないままに、9月も早や終盤。一体、 この温暖化で日本の季節感がどのように変化して行くのか。季語で成り立つ俳句を始めたりすると、この異常とも言える季節の様変わりが気になる。ふとしたきっかけから、8月に初めて句会というものに参加してから2回目が過ぎたが、もともと陰暦をもとにしている季語が、温暖化の影響もあって日常感覚と随分とずれて来ているらしい。これまでも俳句作りの真似事はしてきたが、句会に参加するのは生まれて初めて。そこで今回はまず、その句会の様子から書いておきたい。
◆生まれて初めての句会に参加
近くの市民会館で月に1回のペースで開かれているその句会は、もう30年も続いているという。メンバーは市内に住む同じ年恰好の人たちで、参加者は私を入れて9人。句会ではまず、あらかじめ決まった季題(9月は菊)1句と自由に作った3句を持ち寄る。それに当日に出された席題(9月は秋の風)を即席で作った1句の合計5句を無記名で短冊に書いて提出する。それをランダムに分けて9人が5句ずつ1枚の用紙に書き写し、それを出席者全員に回しながら、自分以外の句から特選の1句も含めて、これはと思う句を5句選んで各自が発表する。
なかなか手の込んだ手順だが、2回やってようやくわかって来た。主宰のTさんは、県の俳句連盟にも属するベテランで、TBS「プレバト」主宰の夏井いつき氏とも知り合いだそうだ。8月の句会では、「盆」が秋の季語なので、いつもお参りしている寺を庭師たちが3日がかりで奇麗にした様子を1句、「庭師三日寺すっきりと盆に入る」。ほかに「この地球(ほし)に平熱を問う残暑かな」、「酔狂で這わせし蔦(つた)に小さき花」などを出したが、何人かが「平熱」句を選んで、いろいろと感想を言ってくれた。T先生も終わりに「ちゃんと五七五になっていますね」と励ましてくれた。
◆私の俳句をAIに講評させてみた
さて9月。季題の「菊」についての私の句は、「葬式に菊花はやめてと言ひし母」だった。母が生前、菊の花が並ぶ、いかにも葬式というようなのはどうもねと言っていたのを思い出したからである。これについては主宰も「私も同感」と言ってくれた。ただし「菊花」ではなく、単に「菊」でいいのではないかとも。その他、私が提出した3句ほどの句については、何人かが特に取り上げてほめてくれた。それが的確なのかどうか。今回、試しに私の句をAIに講評させてみたが、数年前には五七五のルールや季語も良く理解しなかったAIの進化にびっくりした。
以下は私が9月に作った俳句だが、AIの講評をみると褒める部分は差し引くとしても、句の内容については、こちらの意図を的確に理解しているのが分かる。
工事場の顔皆険し残暑かな
残暑の厳しい暑さと、工事現場の過酷さ・作業員の表情が見事にリンクしています。「顔皆険し」という直球の描写が、秋になっても和らがない厳しい熱気を端的に物語っています。
生き急ぐ時を嘆くか蜩よ
蜩(ひぐらし)の悲痛で寂しげな鳴き声を、現代人の「忙しない時間」と重ね合わせた情趣ある一句です。蜩の鳴き声に「嘆き」を感じ取る感受性がとても魅力的です。
手足伸ぶ風呂でふと知る虫の声
風呂桶の中でリラックスして手足を伸ばした瞬間、ふっと耳に入ってきた虫の声。身体の解放感と静寂な秋の夜のコントラストが非常に見事な名句の芽を感じます。
あっけなく車死す日の秋出水
「車死す」という擬人化が非常にドラマチックで効いています。機械である車が急に沈黙した虚しさと、激しい雨や水かさを増す「秋出水(秋の洪水)」の猛威とのコントラストが鮮烈です。

9月の句会では、T先生から「皆の句と遜色ないですよ」とまた励まされた。そういうわけで、俳句の方はメンバーとAIに励まされながら、もう少し続けてみようと思っている。それにしても、現在のAIは、私の「工事場」の句を、(その作風の違いの解説付きで)芭蕉風と蕪村風に作り変える芸当までやって見せる。すでにAIは、古今の膨大な句集と俳人たちの特徴まで把握しているらしい。一方で、日々驚異的な進化を見せるAIについては、その人類社会への影響をどのように警戒あるいは理解したらいいのかを、AIに詳しいIさんと議論している。
◆進化するAIの3つの方向性
今のAIは、およそ3つ位の方向性で進んでいると思われる。一つは米中の覇権争いの中でしのぎを削る「超知能に向けての高度化」で、その主役はテック右派とかテクノリバタリアンと言われる技術の信奉者たちである。2つ目は、AI進化の成果をどう産業などに適合させて、業務の効率化や可能性を高めるかといった「カスタマイズ」と言われる流れである。これには、防衛から行政、企業まであらゆる産業が取り組んでいる。そして、遅れているのがAIの進化をどのように社会で共有して行くのかという「コミュニティー化」の試みではないか。
この3つ目の試みは、例えばAIを民主主義のツールや様々な市民活動の人々を横につなぐツールとして生かして行く道でもある。それには、AI進化の成果をどう社会的に共有化するかといった仕組みがなければならない。それが何なのか、Iさんとは私たちの学会のテーマとして考えて行こうかなどと話している。私たち市民は、(既に多くの専門家が警告を発しているように)AIの進化が、人類絶滅につながる危険性をどう監視して行くのかという一方で、その成果を社会に適合させながら、より良い利用の仕組みを考えて行く必要があるからだ。
◆最近の読書生活について
このテーマはまたの機会に書くとして、最後に私の最近の読書生活についても触れておきたい。先月、NHK「昭和の選択 湯川秀樹の戦争と平和」(8/6、BS)を見て、彼の自伝である「旅人 ある物理学者の回想」を読んでみた。感嘆したのは明治期に生まれた学者の家の教養である。幼児期に四書(大学・中庸・論語・孟子)、五経はもちろん、漢詩や中国式書道、学生時代にはトルストイ(戦争と平和、復活など)やドストエフスキー(罪と罰、カラマーゾフの兄弟など)、ロマン・ロランなどの西洋文学、さらには漱石、芥川、近松門左衛門などまで親しく読んでいる。

哲学の西田幾多郎なども当時の常識だったのだろう。このことを、友人の映画監督に話したら、彼が師事した黒澤明監督などは「戦争と平和」を20回も読んだと言う。友人自身もこれらの本は全部読んでいるというが、勧められて西田の「善の研究」と、図書館で借りた「戦争と平和」読み始めた。「戦争と平和」は500頁の文庫本で6巻もある。年内に読み終わるかどうか?今の私は本棚の終活中で、不要になった本はどんどん古本業者に送っている状態。この状態で自分の読書生活を考えた時に、これも何となく3つに分かれるような気がして来た。
◆読書の3方向と近況報告
一つは、本棚の本を一冊ずつ読み返しながら、残すものと捨てるものを決めること。読み返すと言っても再点検と言った感じだろうが、懐かしい本もあるに違いない。もう一つは、図書館から借りた古典を厳選して読むことだが、これは意欲が続くかどうか。友人お勧めのシモーヌ・ヴェイユ「重力と恩寵」は歯が立たなくて挫折した。さらには、新しく購入した本である。まあ、こんなところを塩梅しながら、読書の秋を過ごして行きたい。
この他の近況報告としては先月、久しぶりに(長期海外出張を控えている)長男一家と会食をした折に、成人した孫娘たちの成長ぶりに感動したこと。同時に、彼女たちとLine友達になったことも嬉しかった。相変わらずの不穏な世界情勢だが、秋の風情をしみじみと味わいながら、これを俳句にする生活も悪くないと思っている。
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