「風」の日めくり                   日めくり一覧                             
  定年後の身辺雑記。残りの人生と向き合うために

残り時間が気になりだして 21.3.18

去年の3月に自主的に自粛生活に入って1年が過ぎた。こんな長い蟄居生活は人生の中でも初めての経験で、少し引いて見れば極めて特異な1年だったのだが、それで自分の何が変ったのかは案外はっきりしない。ただ、漠とした不足感があって、コロナ以前には普通だった、人との直接的な会話や飲食、旅行(特に温泉)、それに美術館やコンサート、映画館の鑑賞などといった楽しみを思い浮かべただけで、それが容易に手の届かない贅沢なものに思えて来る。ただし、その不自由さも我慢できないような確たるものではない。

  もちろん、人並みにzoomやLineを使った談話会や勉強会、講演や会議などには参加している。先日は、お茶の水の蕎麦屋の2階で定期的に集まっていた高校の同級生たちとzoom談話会にトライしてみたが、何とか1年半ぶりに互いの顔を見て話すことが出来た。そんな漠とした不足感を引きずる日常生活の中で、最近つらつらと考えるようになったのは、自分の残り時間のことである。目の前の雑事に取り紛れている時はあまり考えなかったのだが、有り余る時間の中で自分に目が行くようになると、それが気になりだした。

◆残り5年で仕上げること
 特に、身体のあちこちに膝痛や股関節痛などの小さな故障が現れたり、体力・知力に衰えを感じたりすると、確実に人生の下り坂にある自分を実感する。そして、何かやり残したものに手をつけるのも、あと5年だろうと考える。(私の場合は)仮に、それ以上に生きたとしても体力、気力が言うことを聞かないのではないか。そこで、これからの5年の間に最低限仕上げておくべきことを3つほどに絞って見た。その一つが、16年に及ぶ「メディアの風」のコラムのまとめである。これを可能な限り絞り込んで、何とか1、2冊の本にしたいということである。

 これは以前から漠然と考えていたのだが、日々新しいコラムを書くのに追われているうちに、いつしか延び延びになって来た。そこである日、コラムの全容を掴むために、これまでのコラムをジャンル別、時系列的に並べ直してみた。『社会事象系』(「新型コロナ」、「原発事故と脱原発」、「震災と東北」、「社会問題」、「経済、財政、資本主義」、「メディア」、「科学技術」)。『人類的な課題』(「地球温暖化と環境問題」、「世界と文明」、「戦争と平和、憲法」)。『政党政治関連』(「政治や日本の課題」、「小泉政権」、「民主党政権」、「安倍政権」、「菅政権」)。

 さらに、『国際問題』(「アメリカ、日米」、「中国、日中」、「韓国、北朝鮮、EU、ロシアなど」)である。テーマは多岐にわたるが、多い順で言えば、原発関連で79本。政治的課題が67本。安倍政権が57本。メディアが33本と言ったところで、全体で437本になる(*)。1本のコラムは400字詰めの原稿用紙でおよそ8枚なので、ざっと3500枚の分量だ。一般に単行本となると、およそ350枚というので、10冊分にもなってしまう。これを少なくとも5分の1にまで絞り込めるか。1冊にするのか2冊にするのか。5年でも終わりそうにない難問である。
*)ジャンル別一覧」ページ開設!

◆最近の写真俳句から
 後の2つ(これについては、別途)も、しっかり向き合わないと間に合わない。コラムの新規更新もほどほどにしながら、計画的に着実にやっていくしかないが、取り組めるのも後5年がいいところだろう。さて、そうは言いつつ、散歩しながら撮った写真に俳句をつける試みも何とかまだ続いている。拙いながらも俳句は季語を入れるだけに、季節の移り変わりを感じることが出来るので、こうした蟄居生活には適しているのかも知れない。そんな写真俳句から幾つか。

『かすかなる 点描のごと 木々芽吹く』 
 このところの暖かさに誘われて河川敷を歩いていると、川べりに生えている柳たちがいつの間にかうっすらと緑がかって見えることに気づきます。近寄ってよく見ると、細い枝に点々と小さな芽が顔を出しています。そのかすかな緑が、あのスーラの点描画を思わせたりして。。 春ですね。

『手を繋ぎ 孫と行く日の うららかな』
 昨日は、久しぶりに娘一家が孫二人を伴って来宅。僅か5時間の滞在であっという間に帰って行きました。その間に、近くのお寺をお参りし、遊水池公園の坂の芝生で段ボールすべりをし、駆けっこをして遊びました。下の孫娘ももうすぐ2歳、大分言葉も上手になりました。上の子は4歳半、今や恐竜博士です。

『入れ替わり 季節ことほぐ 寺の花』 
 1月の紅梅、2月の枝垂れ梅、白梅に続いて、お寺では緋寒桜が咲き始めました。次々と花木が花をつけることで、季節が確実に巡っていることを実感します。この花(桜、写真上)は、ネットで見る限り緋寒桜ではないかと思います。この後は、枝垂れ桜に八重桜と次々に咲いていきます。日本の四季に感謝です。

『水揺らし 目覚めしものよ 春の沼』 
 元荒川に沿った沼に、時折大きな波紋を起こすものがいます。春が来て、周囲の生き物が目覚める気配が濃厚に漂い始めました。冬の間、水を抜いて涸れていた遊水地にも水が流れ始め、あと数週間もすれば、湖になります。命が活動を始める季節。人の世はともかく、自然から元気をもらいましょう。

『孫たちの 遠くにありて 雛(ひいな)かな』 
 ひな祭りになって、カミさんがいつものようにささやかに、ひな人形を飾りました。4人の孫娘がいますが、それぞれに神奈川、NY、大宮で頑張っています。神奈川、NYは遠いしコロナなので、なかなか会うことの出来ない状況ではありますが、皆一年一年と大きくなって、その成長ぶりに癒やされています。

『春うらら 歩き疲れし 影二つ』 
 今日は暖かな日に誘われて、カミさんと元荒川沿いの遊歩道を思いのほか、遠くまで歩きました。ここには100メートルおきにベンチがありますが、途中からは時々、ここで一休みしながら。これまでは気にもとめなかったベンチですが、これがありがたく見えて来るから、やはり高齢者のためのものだったのですね。

◆それでも人生にイエスと言う
 毎日のように「声の便り」を届けてくれる映画監督の友人は読書家で、いろんな本を推薦してくれる。「それでも人生にイエスと言う」は、その中の一冊。ユダヤ人の精神医学者で、ナチスによって強制収容所に囚われ、九死に一生を得て解放されたヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」の著者でもある)が、解放翌年に行った講演をまとめた本である。生きる意味が見えにくい現代に、生きる意味を提示する。彼は、人間は生きる意味を人生に問うのではなく、「人生が出す問い」にその都度答えていくところに人生を生きる意味があると言う。

 私たちは(人生から)常に問われている存在であり、その都度それに答えて行く責務がある。その意味では、息を引き取る間際まで私たちは人生が問いかけるものに答えていく責務がある。そしてそれに答えることによって、死までも全生涯の意味に組み入れ、死によってさえ生きる意味を実現できるという。人生からの問いに答える瞬間瞬間の「選択」によって、自分の人生の意味を織りなしていく。これは、かなり実存主義的な考え方であるが、そう考えることによって、どんな過酷な状況でも、生きる価値を見いだしていくことが出来るというのだ。

 なかなか大変な考え方だが、一見、無意味とすら見える時代状況の中で、彼はその無意味性に抗して生きる意味を伝えようとする。しかし一方、「(私たちに人生の意味を問いかけるような)大いなる意味がこの全世界にあるかどうか」というその先の大いなる疑問については、その人次第らしい。永遠のベストセラーが投げかける謎である。

膝痛も生きる証か老いの春 21.2.9

 振り返って見れば、コロナ禍でのStay homeも1年近くになる。去年の2月14日に都内で後輩たちと夜の会食をしたのが最後。リモートで互いに酒を飲むことはあっても、実際にこんなにも長い間、酒を酌み交わすことがなかったのは成人以来、初めての経験である。そう考えると、改めて自分が異常な状況を生きているものだと思う。その間に、先輩や学友の死亡通知に接したり、毎日のように100人規模のコロナ死が報じられたりすると、日常生活においても、背後に「漠とした死のイメージ」が近接しているような緊張感がぬぐえない。
『数だけで知る“死”の多し寒戻る』

 そんな緊張感も自分が後期高齢に入ったせいかも知れない。日々、出来るだけ健康を維持しようと、ウォーキングなどの日課をこなしてはいるが、最近は身体のあちこちに故障が出始めた。膝、股関節、肩などの関節痛である。油が切れかかっているのかも知れない。ウォーキングの間も、途中のベンチに腰掛けて股関節のストレッチをしながら、だましだまし続けている。それが、タイトルの方の俳句。考えてみれば、重症化のリスクが高い75歳という年齢でコロナ時代を生きることは、いろいろ興味深い「未知との遭遇」(後述)に満ちているとも言える。 

◆最近の写真俳句から
『寺包む 気配優しく ぼたん雪』 
 お昼頃、ふと窓を見るとぼたん雪に変っていました。本格的にならないうちにと、あわてて日課の寺参りに出かけると、お寺の周囲の雰囲気がとても柔らかく優しいものに変っていました。お寺が経営する幼稚園の園児たちも大喜びで雪を手のひらに受けています。考えてみれば去年の冬以来の雪でした。

『寒夕焼 梢に烏の 孤影かな』
 冬の夕焼けはしばしの間、裸木を染めたちまち薄れてしまう(歳時記)。昨夕は、その裸木の梢のてっぺんに一羽の烏がじっと沈み行く夕陽を眺めていました。ウォーキングする人もまばらで、そのカラス君の孤独感がこちらにも伝わって来て、「よ、ご同輩」と呼びかけたくなるようなたたずまいでしたね。

『妻と居て 演歌聞く夜の 虎落笛(もがりぶえ)』 
 全国的に大寒波と強風だった昨晩はテレビ三昧。カミさんと炬燵に入って、BSテレ東の「年忘れにっぽんの歌(再放送)」で懐かしい演歌を聴きながら過ごしました。紅白と違って、こちらは懐かしい歌が山盛りでした。特に演歌については、互いの記憶の微妙な違いに気づくことも多く。虎落笛は木枯らしの風の音がヒューヒュー鳴っているさま(歳時記)。 

『見比べる 夕陽と時計 日脚伸ぶ』
 昨夕、去年12月21日の冬至の日と同じ時刻に川沿いを歩いていて、ふと時計を見ると、冬至には富士山の向こうに夕陽が沈んだのに、夕陽はまだ沈まずにありました。少しずつ日が長くなっていることを確かめた気分になりました。日脚伸ぶ、とは冬至から日一日と日脚が伸びる季節感。

『君一人 季節告げるか 梅の花』 
 お寺の梅の花がほぼ満開になっています。他のものたちがまだ冬一色なのに、ひとり健気に春遠からじと告げているような。。まだまだ日本列島は寒波で大変ですが、季節は確実に回っていることを感じさせてくれます。

◆ある時から意識した相対的な自我
 前回、孫娘の宿題に答えるために、高校時代の日記を読み直して「後から考えると笑っちゃうくらい色々と悩みも書いてあった」と書いたが、その後、社会人の駆け出し時代の日記を読んでも、「今から考えるとどうしてこんなことに」と思うくらい様々なことに苛立っている。それは多分、周りの人間との関係や自分の人生に関して、その時々に思っていた「望ましい形」と自分が違っている苛立たしさだったのだろう。その「望ましい形」も漠然としていて掴みきれない。そんな、違和感やも苛立ちのようなものを抱えていたのだろうと思う。

 振り返って見れば、まだ幼い子ども時代は、全く自分を中心とした視点しかなく、この世は自分を中心として回っていると思っていたと思う。それが周りの人が急に意識に入ってきて自分が皆の中の一人に過ぎず、相対的に小さな存在になったことを感じたのは小学入学前だったように思う。不思議な感覚の変化だった。その結果、周囲の人々や社会に対して相対的になった自分が、やがて自我と外界との間で、違和感やもどかしさを持つようになる。それが、高校時代の人間関係の悩みや、成人してからの自分の人生に対する違和感やもどかしさの元だったのだろう。

◆人生というものに感じた虚しさが
 自分の人生については、社会人になってからもかなりの期間、どこかで虚しさを捨てきれないでいた。それが何に由来していたのか。今でははっきり思い出せないが、頑張って生きてもいつかは死ぬということだったかも知れない。死んでしまえば終わりで、死ぬまでにどれだけ意味のある人生を送れるか分かったものではない、どんなに頑張って生きても中途半端に終わるだけだ、というような予感が、前に一歩踏み出す気力を削いでいた感じだった。不思議なことに、そんな悩みや虚しさは、時を重ねるうちに霧が晴れるように消えていった。

 そんな悩みとのつきあいは、人生の長い階段を一歩ずつ上っている場面にも思える。その途中には、幾つかの踊り場があって、その人生の踊り場に出るとそれまで霧(悩み)に包まれていた自分の視界が、別のものになっていることに気づく。「なんであんなことに」とふと思うくらいに、いつの間にか、そうした霧を離れている自分がいる。その人生の節目(階段の踊り場)は、平凡な人生を送ってきた私の場合はそう多くない。精神的な彷徨を続けていた高校、大学時代から、社会人になった頃、家族が出来た頃、組織で管理職になった頃、そして自由な定年後など。

◆「未知との遭遇」はあと何回?
 その節目節目で自分の精神にどういう変化が生じたか、ここに詳細は書けないが、今では大分自由になった。一つ言えることは、年齢を重ねるうちに「望ましい形」の歩留まりも見えて来て、中年に差し掛かる頃から、仕事や人生との折り合いをつけられるようになったのだろう。若い頃のように人生の虚しさに苛まれることもなくなった。今終わるとしても、こんな所だろうと思っている。相対的な世界との関係も、大分縮まってもどかしさを感じることも少なくなった。

 それは、後から考えると一種の「精神的脱皮」とでも言うもので、それまで悩んでいたことがすっと姿を消している。それ以前には見えなかった風景が見えてくるという意味で、(以前にも老後の気づきについて書いた)「未知との遭遇」に似ている。もっとも、今の自分に悩みが全くないと言えば、それは嘘で、これから年齢の階段を一つ一つ上がっていく時に脱皮を経験するのかも知れない。死ぬまでに、そうした「未知との遭遇」をあと何回見ることになるのか。それは、時には苦しいものかも知れないけれど、一方では楽しみでもある。

 コロナ禍の時代、自分には後どのくらいの時間が残されているのかは分からない。その貴重な日々にあって、老後から終末への様々な「未知との遭遇」を時折は「風の日めくり」の方に書いてみたらどうだろうか。もちろん、いつまで続けられるか分からないし、老人の繰り言にならないように自戒しながらではあるが、それが先人の知恵にならったテーマである「人生を生ききる」ことの、一つの方法かも知れないと思っている。

初護摩の堂に祈りは満ちて 21.1.8

 2021年の年明け。去年夏から続いている写真俳句は、毎年元旦に参加している近所の真言密教のお寺での護摩焚きを詠んだのが最初だった。
『初護摩の 堂に満ちたる 祈りかな』
 マスク着用で、本堂に入る前に手の消毒をする中での護摩焚きである。今年は特に、皆の祈りがお堂に満ち満ちているような真剣さを感じた。私たちも、燃えさかる護摩木の炎を見ながら、今年の平穏無事とコロナの早い収束を願って来たが、そのコロナはここへ来て一気に感染爆発状態。おとなしい国民も(カミさんなども特に)無能な政府に怒り心頭で、発足したばかりの菅政権には早くも赤信号が点っている。

◆成長する孫たち、歳をとる私たち
 そういう2021年、我が家の正月も子どもたち、孫たちが顔を出すことなく、電話やLineで話をするだけになった。N.Y.在住の次男一家も、トランプのアメリカで、もう10ヶ月も「Stay home」状態を続けて来た。好きなことを見つけながら、リモートで授業を受けているらしい。長男の所の次女は今年、高校入学だが、嬉しいことに志望の高校に内定したという。高2の長女の方は、来年が大学受験。皆、それぞれに頑張っているのは嬉しい限りだが、こうして孫たちは一年一年成長し、代わりにこちらはどんどん歳をとっていく。

 去年から、私たち夫婦は体のあちこちに小さな故障を抱えて、随分と医者通いをした。私も12月に人間ドックに行ったら、コレステロールと中性脂肪の値が異常で、要チェック状態になった。考えてみれば、この10ヶ月、コロナのストレスにさらされながら、自粛生活を続けてきたわけで、どこかに故障が現れても不思議ではない。そういう中だからこそ、お寺のお参りをし、市民会館で5階までの階段を2往復し、川沿いの土手をウォーキングするという日々の日課を淡々とこなし、目に付いた風景を写真に撮り、俳句をつけるという試みを続けて来た。

◆年末年始の写真俳句から
『空映す 冬の川面の ただ静か』 
 梅雨時と違って、雨量の少なくなる冬の川は、流れているのか止まっているのか。コロナの感染が止まらず、東京の新規感染者数が949人に上った昨日の夕方、元荒川の河川敷を歩いていると、そんな不穏な社会をよそに、自然がしずかにたたずんでいる気配に心癒やされる感じがします。


『クリスマス 小さき灯(ひ)を消す 小さき子』 
 孫たちのクリスマスの写真を娘が送ってくれました。4歳と1歳。毎日Lineで話をしているけれど、こうしてイベントごとに、時を刻んで成長して行くのですね。私たちの小さい頃は、お正月のお年玉に朝起きると、枕元に新しい下駄などが置いてあって嬉しかったものですが。あの頃の冬は寒かったなあ。あかぎれや霜焼けが出来て。今は文明生活です。



『富士に夕陽 2020年の 冬至かな』
 今日は年に一度の冬至の日。夕方は風もなく、少し無理をして元荒川の河川敷を歩いて富士山が見える橋まで。眺めているうちに、夕陽が富士山の山際に沈んでいきます。4時25分でした。来年の冬至は、どんな夕陽が見られるでしょうか?コロナが収まってくれているといいのですが。

『ガラケーに 残る写真や 年惜しむ』 
 「年惜しむ」とは、過ぎゆく年を惜しく感じることと、俳句歳時記にあります。5年前にスマホに変えた後も、以前のガラケーは時々充電しながら目覚まし代わりに使っています。そのガラケーには昔の写真が沢山残っていますが、この写真は10年前に生まれた孫娘のKちゃん。今はNYで頑張っています。

◆亡くなった友人の遺志を継いで放送
 年末、年始に嬉しいことが2つあった。一つは、足かけ3年になるBS1スペシャルの企画が放送になったこと。それは、「私たちのデジタル医療革命2021」(50分×2)で、この企画は元はといえば、一昨年の5月に亡くなった友人と進めていたものだった。三宅民夫アナウンサーをキャスターにして、医療の最前線をリポートする番組で、その遺志を継いで私がお世話になっている制作会社が実現した。コロナ禍で取材に大変苦労したが、タイミングもぴったりで、まさにデジタル医療時代の到来を告げる内容の濃いドキュメンタリー番組になった。

 私は企画が通るまでのお付き合いで、後は友人の古巣(NHK)のプロデューサーたち、制作会社の制作陣が年末ぎりぎりまで頑張って放送にこぎ着けた。友人の奥さんに放送日(1/2)をお知らせしたところ、当日は友人の遺影と共に視聴して、「主人が原案企画に参画させて頂いていたものを、あのように素晴らしい番組にしていただけましたこと、感慨無量でございます」というメールを頂いた。このコロナの状況での医療現場の取材がどうなるかと、ハラハラしていたのだが、亡くなった友人の遺志に答えられて少しほっとしたところである。

◆高2の孫の宿題に答える
 もう一つは、年も押し詰まって長男のところの高2の孫娘から宿題を頼まれたこと。それは家庭科の宿題で、祖父(私)に高校時代の様子を尋ね、さらに今の高校生にアドバイスを求めるというものである。全部で7つの質問がある。高校時代はどのような生活だったか、30歳、60歳は?人生で嬉しかったこと、つらかったことは?昔と今で一番違うところは?もう一度10代に戻れるならしたいことは?現在の生きがい、気を付けていること、心配事は?人生の先輩として高校生にアドバイスを。といった、なかなか重い質問が並んでいた。

 最初の質問には、『県で一番の進学校だったので勉強一筋と言いたいところですが、剣道部に入ってかなりきつい稽古をしたり、世界の名作とされる文学(「ペスト」、「罪と罰、「嵐が丘」、「赤と黒」など」)をかなりの数読んだり、友人たちと楽しく遊んだりしていました。年齢相応に、友人関係に悩んだり、自分の劣等感に悩んだりしながら、少しずつ友達とのつきあい方も学んでいたように思います。3年生の夏からは、受験勉強に真剣に取り組みました』と書いたが、いい機会だったので、それぞれの答えには「補足説明」をつけて、私が若い頃にどのような生活を送っていたかを分かって貰うことにした。

 『今回、この宿題をするので高校時代の3年間の日記を読み直してみました。毎日ではないけれど、1年で1冊の大学ノートにつけていたのですが、読んでみて、やはり後から考えると笑っちゃうくらい色々と悩みなども書いてありました。特に友人関係などが多かったように思います。成長過程で、いろいろ経験しながら、他人とどのように距離をとりながら付き合って行くのか、などを学んだのだと思います。自分の性格についても内気だとか、シャイだとか、書いていますが、これも大人になれば普通になって行きましたね』 (補足から)

 孫娘からは「私の宿題のためにこんなに長い文を書いてくださって時間を割いてくださって!と少し嬉しくなっちゃいました。おじいちゃんの昔の話を見てどんな人でも生まれた時からできあがってるわけじゃないんだなあ…と、どんな人でも悩んでたりするものだなあと思いました(中略)。おじいちゃんもコロナに気をつけてください!」などと嬉しい返事が来た。 私の方も忘れていた10代の日記を読んで、いろいろ考えるところがあったが、これについては別途書いてみたい。

コロナ後の夢を夢見て冬の星 20.12.13

 コロナに翻弄された2020年も師走に入った。7月に始めた「写真俳句」はまだ続いている。その時々の季節の変化を携帯で撮って俳句をつけ、FBにアップする。句には短文をつける。例えば表記の句には、『コロナの感染拡大が続いていますが、高齢の私たち夫婦は、GoToも億劫でひたすら自宅周辺で過ごしています。いつ終息するのか分かりませんが、コロナが収まったら温泉にも行きたいし、一人旅もしたいし、あれやこれやと夢を追う日々。それを楽しみに、しばらくはこの不自由な日々を淡々と過ごして行こうと思います』と言った具合である。

◆淡々とした日常でも、ストレスは溜まる
 そんな淡々とした日常の実際。木曜日と日曜日の午前中は、10%の割引券が出るのでスーパーに自転車で買い出しに行く。それ以外の日は、まず新聞のテレビ欄をチェックして印をつける。最近は、見たい番組が本当に少なくなった。NHKのBS1も売り物のドキュメンタリーが殆どない。コロナで穴埋めに必死なのだろうが、この存在感のなさでは、政権からの乱暴な値下げ攻勢に抵抗できるのかと心配になる。昼食を自宅で済ませた後は短時間の昼寝をし、次いで切り抜いた新聞のファイルや本を持って、歩いて5分の市民会館2階の喫茶コーナーに出かける。 

 ここは、私の第2の書斎。昼時を外せば全く静かだ。そこで自動販売機の珈琲を飲みながら、新聞を熟読し本を読み、コラムのテーマや構成を考える。飽きたら会館の5階まで階段を2往復(計200段)し、天気が良ければそのまま目の前の遊水池公園、元荒川の河川敷をウォーキングする。気に入った写真が撮れればつける俳句を考える。その後、寺に寄って般若心経を唱えて帰宅する。歩かないときは、スマホを利用して家でラジオ体操第1第2をし、夕食までの30分はできるだけ座禅のまねごとをするようにしている。こんなメニューである。

 午後には週に2,3回ほど、リモート会議などがある。サイエンス映像学会や科学技術ジャーナリスト会議の月例研究会、大先輩主宰の電子塾、番組制作会社の企画会議などである。友人たちとのリモート雑談会も定期的に続いている。そんな淡々とした日常だが、コラムにも書いたように現政権のコロナ対策の無策、無能振りや、強権的な政権運営を考えるとストレスも溜まるし、腹も立つ。友人たちとの会話やカミさんとの会話でも現政権の科学を無視した危機感のなさが話題になる。そんな日常だが、俳句の方は秋の紅葉から冬の師走までの身の回りのことである。

◆写真俳句。季節は秋から冬へ
『一仕事 終えたる余韻 銀すすき』 
 夕方の河川敷で、枯れすすきが夕陽を浴びて銀色に輝いていました。枯れてなお、余韻の燦めきですかね。どうも後期高齢になったとたんに、こんな句が多くなりました。

『落葉の海に 木々は炎上す』 
 あまりに見事な紅葉の広がりにちょっとシュールな句をモノしてみました。近くの遊水池公園のケヤキの大木もハゼの木も、猛暑の間は緑陰の涼しさを提供してくれていましたが、今は辺り一面に落ち葉を降り敷いて、紅葉の真っ盛りです。地面は落ち葉の海のようになっていて、それを見ると、紅葉の名所での一面の紅葉も地上には落葉が海のように降り敷いているのでしょうね。そんなことを想像して。。

『子ら嬉し 一夜でこ〜んなに 銀杏の葉』 
 一昨日の木枯らしで、銀杏の葉が遊歩道一杯に雪のように降り積もり、一夜明けたらこんなになっていました。遊びに来た孫たちも嬉しそうにはしゃいでいます。あっという間に冬の到来です。

『黄落や 老いて華やぐ人に似て』 
 黄色に色づいた銀杏の木が折からの風に、辺り一面を黄色に染めながら、一斉に葉を落とし始めています。もう数日もすると銀杏並木は枯れ木になってしまいますが、その前の一瞬の華やぎでしょうか。年老いた人の中にもそうした華やぎを備えている人がいますが、紅葉と違って銀杏の黄色は、何となくそんな人のちょっと控えめな華やぎを思わせたりして。。


『冬晴れや 鳥に恵みの 実の多し』 
 昨日は穏やかな晴天。遊水池のメタセコイヤの巨木はまだ紅葉を保っていますが、ナンキンハゼは、大方の葉が落ちています。ナンキンハゼは外来種だそうですが、ハゼの木と同じく脂肪分のある実を沢山つけています。それは、鳥たちの餌になって、実が運ばれ植生を広げると言いますが、今はカラスが群れになってせっせと食べています。


『短日や 日課の参りを 急ぎけり』 
 コロナが始まったこの春から、歩いて1分の真言宗のお寺にお参りして、そこで般若心経を唱えることが日課になりました。コロナ以前は月に1回、本堂での朝のお勤め、座禅、庫裏での朝がゆの行事に参加していましたが、今は本堂でのお経のみになってしまったので。夕方うっかり遅れるとあっという間に暗くなって、お賽銭箱わきのセンサーライトに照らされる羽目になります。そこで、暗くなる前に急いでお寺に出かけることになります。

『家々に どんな暮らしの 師走かな』 
 時々、コースを変えて住宅地を歩くことがありますが、昔からこの土地に根付いた人たちの豪邸もあれば、マンションや借家なども並んでいて、それぞれに多様な暮らしが偲ばれます。師走ともなれば、そんな感じが一層深く、つい自分の来し方と重ねてしまったりします。ちょっと気が早いけれど、それぞれに良い年が迎えられますように。

◆希望を持てない時代に、あと5年のテーマを探す
 それにしても、今はどんな時代に入っているのだろうか。その問題意識で書いてきた「メディアの風」のコラムだが、こと政治に関しては、考えれば考えるほどに「希望が持てない時代」を感じるようになった。アメリカのトランプもそうだったが、時代が大きく民主主義の理念から逸れて行っている。それは日本も変らない。安倍政権が拍車を掛けた「反知性主義」がそうである。質問にまともに答えない。嘘を平気でつき通す。法に触れるようなことをしながら「答えを控えさせて頂く」を連発して押し通す。専門家に理由もなく反感を持つ。これが、菅政権になって一層酷くなった(このことは近々コラムの方に)。 

 批判する野党の存在感も薄ければ、メディアの批判もどこ吹く風だ。だいたい、既に大抵のメディアは丸め込められている。半月ほど溜め込んだ新聞を切り抜く際に、ページをくっていても、その見出しが殆ど何の力も持たない状況に、虚しさを感じることがある。かと言って政治を牛耳っている政治家たちが、何か意味のある政治を行っていると言うわけではない。永田町という「小さなコップ」の中で、目の前の勢力争いや足の引っ張り合い、或いは利権を巡って条件反射的に右往左往しているだけだ。少し先に、巨大な落とし穴が口を開けて待っているというのに。

 そうした状況の中で、新聞と同じような見出しでコラムを書くことにどんな意味があるのだろうかと思うが、それはこの15年以上の間に、自問自答を繰り返して来たことなので、覚悟のことではある。だが、その一方で残りの時間で取り組んでみたいテーマを探すことにも心惹かれている。この歳になるとそれは、5年単位で出来るようなものに限られてくる。それが何なのか、(多少更新の間隔を空けるとしても)コラムはコラムとして、新たなテーマを探そうと暗中模索している日々。何か夢のあるテーマが見つかるといいのだが。

コロナ禍の日を淡々と冬隣 20.11.12

 いつの間にか11月半ば。コロナで明け暮れた2020年も大分押し詰まって来た。相変わらず自粛生活を続けながら、つくづく大変な年になったものだと思う。その新型コロナについては「ウイルス封じ込めに本腰を」(8.8)、「新型コロナとは何者なのか」(9.25)でほぼ言いたいことは書き尽くした感があったが、ここへ来て再び幾つかの新たな動きが出てきた。冬を迎えてヨーロッパでは一日の新規感染者が数万人という感染爆発が起こり、日本も北海道など各地で第3次の感染拡大という事態を迎えている。状況は切迫して来たと言わざるを得ない。

 最近では、今にもワクチンが実用化するようなニュースがある一方で、このウイルスの憂慮すべき性質も新たに明らかになりつつある。それは、このウイルスに感染した人々の間で100項目にも及ぶ広範な後遺症が出ているという驚くべき報告(Nスペ「新型コロナ 全論文解読」11/8)である。倦怠感や抜け毛、頭痛などの他にも、集中力が続かない、認知力が落ちるなどの「ブレインフォグ(脳の霧)」と呼ばれる脳機能障害も報告されている。こうした後遺症は、若い世代にも広がっているというから、いよいよ油断ならないウイルスである。

◆コロナ禍の日を淡々と
 それらはいずれ「コラム」の方に書くとして、ここでは近況を書いておきたい。基本的にはこれまでの「Stay home」状態を続けているが、それだけだとコロナブルー(鬱)になりそうなので、最近は感染リスクを気にしながら、おずおずと外出を試み始めている。と言っても「Go toキャンペーン」などではなく、ごく慎ましい試みである。先日は、およそ10ヶ月振りにゴルフを2回やった。地元のレストランに食事にも出かけた。1年ぶりに歯科に行って歯の掃除もして貰った。まるで、コロナの壁のちょっとした隙間から外気を吸うような感じである。

 いずれも人と接触するという点でリスクはゼロではないけれど、およそ5日経過して症状が出なければ、リセットになるという考えである。そして気持ちを少し解放する。それ以外は、リモート雑談会、会議、勉強会などネットを通じたバーチャルなつながりでしかない。後はウォーキング、ラジオ体操、市民会館での読書、座禅のまねごとなど、一人での日課をこなしながら、コラムを書き、FBに写真俳句をアップするという日々。「コロナ禍の日を淡々と冬隣(ふゆどなり)」と言うように淡々と過ごすうちに季節は秋から冬に入った。そんな俳句を以下に。

◆写真俳句、5ヶ月目
 「Stay home」なので、いわゆる吟行というようなこともなく、題材も近所に限られてきた感があるが、そういうものの中から幾つか拾ってみた。FBと違って写真を大きく出来ないのが残念だが。

『我が庭も 一鉢ごとの 紅葉かな』
 猫の額ほどの我が家の庭では、秋になると木蓮、花水木、ドウダンツツジ、ヒメシャラなどが紅葉しますが、狭くて地植えが出来ない百日紅、レンギョウ、南天などの鉢植えも一人前にそれぞれの色で紅葉しています。紅葉の名所などには比べようもない小さな秋ですが、これはこれで季節の移り変わりを知らせてくれます。


『ちりとりに 色とりどりを 今朝の秋』
 土曜日は燃えるゴミの日。ついでに、庭や道路の落ち葉を掃き集めて出しますが、集めた枯れ葉の色々にふと心ひかれて携帯で写真を撮りました。写真俳句を始めて3ヶ月ほどですが、普段なら見過ごすようなことに注意が向くようになった自分に気づきます。


『幼な日の 写真の色や 秋澄める』 

 古いアルバムを開いたら、懐かしい写真に出会いました。およそ70年前の、きょうだい4人の写真です。背景は太平洋、この海を見晴るかす丘の上に家がありました。季節は夏だと思いますが、夏の間中、毎日海に行って真っ黒になっていました。4人とも元気なことが何より嬉しいです。私は一番左、ちょっとすましています。




『天も地も 寂しき響き 秋深し』 
 今日の夕方の散歩で。いつもの遊水池公園の風景が一段と晩秋の趣であることを肌で感じました。空にある雲も地上にある葦もそれぞれが一体となってオーケストラのように響き合って秋の寂しさを奏でているような。季節が激しく回っています。


『山茶花の 見守る路地で けんけんぱ』 
 向かいの家の孫の双子ちゃんは年長さん。近所に住んでいるので、しょっちゅう遊びに来ます。隣の小学生のお兄ちゃんがいつも2人を面倒見ながら遊んでいます。路地一杯に「けんけんぱ」をチョークで書いて遊んだり、水鉄砲をしたり。路地は車の心配もなく、和やかな雰囲気になります。終わると、向かいのおじいちゃんがきれいに水でチョークを消してさよならします。

『人生は かくの如くか 冬の川』 
 夕方、少し風が止んできた頃にウォーキングに出かけました。いつもの堤防の上を夕陽を浴びながら歩いていると、夕暮れの川面をじっと眺めている老人を見かけました。その人は、この時間に何を考えているのだろうと思いながら写真を。その川も止まっているようでゆっくりと流れています。人生の時間のように。。

◆寄る年波の中でコラムを書き続ける
 先日、1年ぶりに歯科で歯の掃除をして貰ったのに続いて、今日は脳神経外科に行って2年ぶりに脳のMRIを撮ってきた。このところ夜中に目が覚めたときに頭痛がして困るからだったが、写真そのものは2年前と変らず。脳の萎縮も、微少脳梗塞の跡もなく、血管も動脈硬化の兆候はないという。それはそれで安心だが、睡眠時頭痛の原因は何なのか。2年ぶりの人間ドック(12月)で分かるだろうか。歳をとると身体のあちこちに経年疲労や故障が起きてくる。だましだまし行くしかないのだろう。

 コラムの発信の方は、よほど我が身を叱咤激励しないと続かなくなった。数えてみれば16年目に入って、20近いテーマで400本以上のコラムを書き続けてきた。コラムの方で最近書いた原発問題にしろ、地球温暖化問題にしろ、核兵器問題にしろ、もう殆ど書き尽くした感があるためかも知れない。それなのに、宮城県の女川原発2号機の再稼働に同意した村井知事が、「原発がある以上、事故が起こる可能性はある。事故があったからダメとなると、すべての乗り物を否定することになる」などと脳天気なことを言っている。

 原発事故と乗り物事故を同列に論じる浅はかさ。こういう人間が原発地元のリーダーであることを見て感じるのは虚しさに近い。それは民主主義が空洞化していく今の政治を見ても、それを擁護する評論家たちや、緩すぎるメディアを見ても同じ。もう老輩が出る幕ではないかと思いながら、先輩がくれたメール、「流されず、息長く、諦めず」に励まされて何とか続けている。

■ コロナの季節は夏から秋へ 20.10.17

 このところ秋雨がそぼ降り、あの猛暑の日々はどこへ行ったのだろうかと思うくらいの陽気になった。相変わらず、殆ど外出しない生活が続いている。社会とのつながりはスマホやPC、特にZoomやLineを使ったリモート交流が主になっている。友人たちとの定期的な談話会、TV制作会社の企画会議や幹部会議、そして学会や科学ジャーナリスト会議が主催する勉強会や講演会へのリモート参加である。最近は、免疫学者の宮坂昌之さん(阪大名誉教授)、温暖化研究の江守正多さん(国立環境研究所)の講演があったが、それぞれ勉強になった。

◆弟と家の思い出話をする
 しかし、そうして人々とつながっていても、気持ち的にはどこか膜が張ったように霞がかかっている。「Stay home」が長くなると、その感じはますます強くなる。そこで先日は、思い切って水戸に出かけて、およそ10ヶ月ぶりに弟と2人で墓参りをした。弟は日立市在住。車に乗り込むにも弟はマスクをし、私もマスクをして後部座席に。それでも墓参り、偕楽園の散策、そして食事と、様々な話が出来て気分が晴れた思いがした。特に嬉しかったのは、祖父母や父母の話があれこれ出来たことである。今回は、これを話したいと思っていたので。

 実は、これから5年ほど掛けて自分の家族の必要最小限の由来を子どもたちにまとめて残そうと思っている。何しろ、こうしたことについては、これまで殆ど子どもたちに伝えなられないで来た。子どもたちと一緒の墓参りも数えるくらいのもので、彼らは水戸の我が家の墓所にある(私も知らない、幼いときに亡くなった父の兄弟姉妹の)いくつかの墓も含めて何も知らない筈だ。弟との会話の中では、戦争でニューギニアに行って負傷した叔父の(祖母が武運長久を祈って縫った)血染めの腹巻きの写真なども見せて貰った。実家に残った弟の方が詳しい。

 父の兄弟姉妹8人の中で、男6人のうち長男の父を除いて5人が戦争に行った。熱心な仏教徒だった祖母は、子どもたちのために千人針を縫い、お百度参りして無事を祈った。そのためか、全員が無事生還した。その祖母や父が残した写経の数は千枚以上になって一部が残っている。そうした家族の由来は「ファミリーヒストリー」のように沢山あるはずだが、最小限のものを書き残しておきたい。と言っても、5年前に93歳で逝った母にはもう確かめようがない。弟などに聞きながら手探りでやるしかない。そんなことを話しながら帰って来た。

◆秋に入ってからの俳句
 涼しくなったので、天気が良ければウォーキングに出かけている。今は思いついたときだけになったが、それでも季節の変わり目に感じたことを俳句らしきものにして写真と共にFBにアップしている。その中から主なものを以下に。

『その空に 我つり上げよ 秋の雲』 
 秋晴れの一日。空が一気に高くなりました。見上げていると、天高く吸い上げられて、涼しい秋風に吹かれてどこまでも飛んでいきたくなりそうな気分です。「お〜い雲よ」というところでしょうか。


『秋入り日と 競いて歩く 老いの身よ』 
 夕方、思い立っていつもの元荒川沿いの堤防をウォーキングに出かけました。出かけたときはまだ明るかったのに、秋の日はつるべ落とし。帰る頃には暗くなっていました。日暮れる前に帰宅しようと、そのつるべ落としの秋の日と競争するように歩いている自分も、考えてみればつるべ落としのようなもので。。


『自販機の コーヒー一人 秋の暮』 
 夕方、散歩したあと近所の市民会館2階の喫茶コーナーでコーヒーを飲みました。ここはかつて喫茶室だったところですが、いまは自販機があるだけ。滅多に人は来ません。そこで、一人紙カップのコーヒーを飲みながら、窓の外の暮れゆく秋の気配を眺めていました。秋の日暮れの風情はことのほかですね。


『一歳が 兄のお絵かき 真似る秋』 
 孫の写真を載せるだけの句。久しぶりの娘の里帰りで、1歳半と4歳の孫の成長を実感しました。下のkotoちゃんは兄の行動を見ながら育っているせいか、もうこちらの言うことは殆ど理解するようになってきました。標準よりちっちゃいらしいけど、自己主張もしっかりします。思い白いですね。

『僅かなる 煩悩数え 長き夜』 
 人間の煩悩の数は108つもあると言われますが、歳を重ねてくると、それもあらかた消え失せて、残りは幾つか数えるくらいになってしまいます。それでも、最晩年に差し掛かって人生をどのように閉じるかなど、結構重たい煩悩もまだ残っています。夜中に目覚めてそんなことを考えていたときに浮かんだ句です。秋の夜長ですね。


『かく老いて 古木や秋の 空に立つ』 
 近所の小さな公園にある桜の古木が、秋の深まりとともに、僅かに紅葉したと思ったら、もうはらはらと葉を散らせ始めています。春には、爛漫の花を咲かせるこの古木も、今はただ空一杯に枝を広げるばかりです。我が身に引き寄せて、年老いた彼はこの秋に何を思っているのだろうと、写真を撮りました。


『雨冷えの 池には何の 命かな』 
 雨冷えとは、晩秋になると朝夕が冷え冷えしてくるのを言うそうですが(俳句歳時記)、特に雨が降るとその感は一層深い、とあります。今日はまさにそんな天気でした。いつものウォーキングコースにある水たまりは人気もなく静かでしたが、その見えない水底には冬に備えていろいろな生き物たちが息を潜めているのでしょうね。

◆最近の読書から感じた時代の転換点
 さて、最近の読書の方ではコラムにも紹介したが、今が時代の転換点にあることを認識させられるものが多かった。地球温暖化の破壊的進行と現代の資本主義が相容れない関係にあることを書いた「人新生の資本論」、その本著者である斎藤幸平と海外の知識人との対話「未来への大分岐」。ここでは、SNSで個人がバラバラにアイデンティティを寄せる集団に属してフェイクを流す民主主義の危機を。或いはそれと同じ問題意識を持った「リベラルの敵はリベラルにあり」などを読んでいる。気づかないうちに私たちは容易ならざる時代の転換点にいる。

 この「リベラルの敵はリベラルにあり」は、むしろ日本の野党である立憲民主党などにその傾向が良く当てはまって、納得させられる。今の菅政権を見ていると、かなりのスピードと破壊力を持って国民をどこかへ持って行こうとしている。それがどこなのかを見極める必要があるが、一方でそれを十分チェックすべき野党もメディアもすっかり力が落ちている。菅に怯えているメディアはともかく、監視する野党の方も存在感が見えない。その根本原因が何なのか、この本はかなり適確に指摘している。書いてみたいテーマの一つである。

猛暑の夏を自宅で乗り切る 20.9.26

 暑かった夏もようやく終わりを告げ、秋の気配が濃厚になった。この間、政治では7年8ヶ月続いた長期政権が終わり、菅政権が始動し始めている。コラムの方では、安倍政権に付き合って発信した70本を振り返って、よくもこんなに書いたものだと思いもしたが、それをざっくり分類して、安倍政治が放置した日本の課題や、長期政権で汚れた政治姿勢や政治腐敗について総括しておいた。終わってみるとあっけない感じもするが、次の菅政権が「安倍政治を継承し前に進める」と言っているので、こちらも同様に向き合って行くことになりそうだ。

 生活の方は相変わらず、遠出もせずにリモートの会議や講演に参加し、友人たちとリモート雑談を楽しんできた。ほぼ日課になった、近くの市民会館の(誰もいない)2階喫茶コーナーでの読書、お寺のお参り、座禅、昼寝といった日課で過ごしながら、梅雨の時期に始めた写真俳句をFBにアップしてきた。読書の方で興味深かったのは、前に先輩に推薦された「経済学者たちの日米開戦」。日中戦争の泥沼にはまりながら、政府と軍部がいかに絶望的な日米開戦に踏み切ったか、それを経済行動学や社会心理のレトリックで読み解く新鮮さがあった。

 これに合せて、友人おすすめの「昭和精神史」(桶谷秀昭)を読むと、戦争への道は誠に紆余曲折。戦争は「人為的な多くの錯綜した要因から起こる」(桶谷)ことに納得させられる。そうしたことを(半藤一利の「昭和史」も参考に)整理して、戦争大好き人間、陰謀好きの人間の織りなす「戦争への歯車を回す者たち」をいつの日か書いてみたい。そうこうするうちに、先日はおよそ7ヶ月ぶりに娘が2人の孫(1歳半と4歳)を連れて里帰りした。ちょっと覚悟がいったが、会ってみると、その成長ぶりに癒やされた。その時のも含めて主な俳句を以下に(最近の句から順に)。

◆最近の主な写真俳句から
『咲くときも 時計の如し 彼岸花』  『変らずに コロナ時代の 曼珠沙華』 
 彼岸花=曼珠沙華で2句。毎年、お彼岸の頃に一斉に咲く彼岸花ですが、今日行ってみると、やはり一気に咲いていました。彼岸花は花の形も針が円形に並ぶ時計のような感じですが、咲くときも几帳面に時に合わせて咲きますね。今年はいつもでない年ですが、それでもいつも通りに自然は巡ってくるものだと。

『70年を 隔てて孫と 秋彼岸』 
 連休を利用して、半年ぶりに一番下の孫たちがやって来ました。1歳半と4歳。こちらは、75歳。彼らの成長の早さをみていると、こちらにも同じスピードの時間が流れていることがちょっと信じられません。同時に、自分も70年をタイムスリップして童心に帰ったような感じもしました。自分にもこんな時代があったわけですね。ちょっと覚悟がいりましたが、会えて良かった。

『秋の蝶 いのちの果ての 美しき』 
 久しぶりに今にも降り出しそうな中をウォーキングに出かけました。その途中、草むらの中に羽を休める秋の蝶が。この時期にしては、意外なほどに鮮やかな、生まれたてのようなみずみずしい感じで休んでいました。しかし、近づいても飛び立つでなし、じ〜っとしていました。この蝶も秋の深まりと共に、寿命をむかえるのでしょうか。

『秋風が 吹き消したるか 夏の季語』 
 昨日、いつもの散歩道を歩いていたら、つい先日まで降るように聞こえていた蝉の声がぱったりと止んでいました。そして、遊水池に向かうと、ここも稲刈りを迎えて役目を終えた水が抜かれて底が見え、噴水も一面を覆っていた水草も消えていました。こんな風に夏の季語たち(蝉、水草、噴水etc)が、秋風と共にあっという間に消えて「秋立ちぬ」になった感じです。

『白鷺や 十羽十色の ポーズかな』 
 水が抜かれた遊水池。残った水たまりには、沢山の白鷺が餌の小魚を狙って来ています。しかし、その動作はいろいろで、ゆっくりと餌をねらって移動するもの、じっといつまでも動かないもの、群れから離れて遠方を眺めるものなど、まさに十羽十色です。白鷺は夏の季語らしいけれど、大目に見て貰って詠みました。

『萩の下 古き仏の 雨宿り』 
 昨日はほぼ雨。毎日参拝している近所のお寺では萩の枝が古い仏様を覆うように一気に伸び、花も咲き始めました。ここには、古い石仏や六地蔵もあっていい雰囲気を醸し出しています。昨日は涼しかったけど、きょうはまた暑さがぶり返すとか。早く秋らしくなって欲しいです。

『地球儀は 未知との遭遇 孫の秋』 
 昨日は、孫の4歳の誕生日でした。お祝いに両親から地球儀をプレゼントされて興味津々。一頃は電車、車でしたが、最近は恐竜にはまって数十種類の恐竜の名前を覚えて言ってくるので、こちらも大変。。地球儀ではどんなことを学んでいくのかな?そして、K君たちの世代は、この星(地球)にどんな未来を見ていくのでしょうか?



『列島を 震撼させて 野分去る』 
 最大級の警戒を呼びかけた台風10号が日本列島から離れていきました。事前の呼びかけが効いたのか、被害は思ったほどではありませんでした。地球温暖化が進む中、毎年、このような巨大台風で日本列島が震え上がるというのもやりきれない思いです。こちら方面も昨日は怪しげな雲が次々とやって来ていました。

『明日には ピカソを描くか 秋の雲』 
 九州には巨大台風が迫っていますが、昨夕の空にはこんな雲が。青い大きなキャンバスにさっと刷毛ではいたような描き始めのような雲がありました。明日は、重苦しい台風の前触れのような雲になるのか、それとも?

『耳鳴りに ふと響き入る 虫の声』 
 熱帯夜が続いた先日、夜中に起きてみると窓辺にコオロギの声が。いつの間にか季節は秋の盛りに入っていたのですね。耳鳴りはもう10年以上のお付き合いですが、シーンという金属的な音が常になっています。普段は気にしませんが、夜中に目覚めたときなどは、結構なものです。それでも、虫の声は涼しげに聞こえました。

『雲黙す 窓の向こうの 夏の果て』 
 近くの市民会館4階。クーラーが効いて誰もいないソファーで読書していて、ふと窓の外を見ると、雲がじっと動かず物思いにふけるように浮かんでいました。まるで額縁に入った風景画のように。ここから見ると夏の終わりを告げるような空と雲です。

『母がいる 句集懐かしき 夏の午後』 
 5年前に93歳で逝った母の晩年の趣味は俳句でした。それを2冊の句集にしたものが手元にありますが、開くと、生前の母がそこにいるような懐かしさがこみ上げて来ます。私がせっせとパソコンに打ち込み、美大卒の息子が挿絵をつけました。


『下闇を 探検の道と 孫の言う』 
 下闇とは、木下闇(こしたやみ)と一緒で夏の季語。夏の繁った木の下の暗がりを言うそうです。そんなぴったりのところが近くにあって、去年の夏は3歳前の孫とよく散歩しました。そこには、垣根の穴をくぐって通り抜けられる小道が出来ていて、そこを探検の道と言ったら、孫が覚えて「探検の道行こう」と言うようになりました。早く会いたいね。

いつまで続く?一日一句A 20.8.20

 コロナに加えて、このところの猛暑である。目の前の日課をこなすのも億劫で、この際と思って考えていた、絵の下書き、出版計画、終活などの中長期的な計画にも全く手がつかない。そんな中、「一日一句の写真俳句」の方は現在26日目で、一ヶ月まであと少しになった。しかし、自粛生活の暇つぶしにと思いつきで始めた俳句だが、これが意外に難物で、毎日俳句のネタを探すのに苦労する。下手をすると、寝ていてもあれやこれやと、言葉の言い回しに悩まされる。何とか一ヶ月までは続けたいと思うが、最近の拙い俳句とそれに添えた短い文章、写真(一部)を載せておきたい。

『遠き夏の 同じ日の吾 日記帳』  (8月20日)
 これまで60年以上、何とか日記をつける習慣を続けて来たのは、中学1年の時の夏休みに日記をつけて、担任の先生から感想を貰ったからだと思います。その当時の日記帳を持ち出して、今日と同じ8月20日に自分が何をしていたのか、ページをめくってみました。まあ、随分と幼い自分がそこにいました。62年前の私は、夏休み中、海に行って遊んでいました。

『今日の日の 無事のうれしさ 熱き夕』  (8月19日)
 猛暑の熱中症とコロナの感染拡大のニュースで一日が過ぎますが、夕方、少し暑さも和らいだ頃に、2人で近所のお寺にお参りし、遊水池公園を見に行きます。とてもウォーキングする感じではありませんが、それでもこのご時世に、今日一日を平穏無事に過ごせたことに感謝です。

『猛暑にも 季節を回す 歯車よ』  (8月18日)
 連日の猛暑ですが、その一方で夜になると秋の虫が鳴きはじめ、お寺の境内にはススキの穂が出始めています。気がつかないうちに、季節を回す自然の大きな歯車が動いているのでしょうね。そんな見えない力に呼びかける感じで詠んでみました。

『老い蝉の 激しくドアに 当たる朝』  (8月17日)
 蝉が地上に出た時の寿命は1週間というけれど、ひとしきり鳴いた後には老い蝉になって、何故か方向感覚を失うらしい。時々、玄関のドアや窓に激しくぶつかって、仰向けになって落ちています。今朝見た蝉は、そのままじっとしていましたが、起こしてやると我に返ったように、どこかに飛んでいきました。夏も終わりのちょっともの悲しい風景です。

『幾つかの 日課も捨てて 午睡かな』 (8月16日)
 
連日の猛暑。これは何も太陽のせいではなく、人間の欲がもたらした温暖化のせいとは分かっているけれど、太陽の日差しは容赦がありません。この暑さでは外出もままならず、ウォーキングはもちろん、読書もコラム書きも諦めて、とりあえず、クーラー効かして昼寝するしかない、そんな毎日です。


『終戦日 75年を 生きし吾』  
『敗戦忌 いくさは本で 知るばかり』
 
(8月15日)
 終戦直前に生まれた私は、敗戦の日本と共に戦後を生きてきて今年75歳になりました。あの戦争については、ジャーナリストの端くれとしてそれなりの関心を持って来ましたが、二度と戦争をしてはいけないという母の言葉をかみしめています。考えれば随分長い時間を生きて来たことに感謝です。

『遠き日の 潮騒想う 夏の雲』  (8月14日)
 その昔、浜辺まで歩いて5分の崖の上に住んでいたので、小学生の頃は一夏、毎日海で遊びました。夏休みが終わる頃には、真っ黒になったものです。潮騒は、崖の上の家までいつも聞こえていました。夏の雲を見上げると、その昔、寝転がって空を眺めながら聞いた潮騒を思い出します。

『緑陰の 誰に恩恵 誇るなし』  (8月13日)
 近所の遊水池に面して、ケヤキの大木が6,7本茂る一角があります。連日の猛暑ですが、そこだけは涼風が流れています。かなりの樹齢で遊水池が整備される以前からそこにあったのでしょう。そこの古びた木のベンチに時々、腰をかけている人を見かけますが、誰にその涼しさを誇るでもなく、ひっそりと立っているケヤキたちです。

『いかづちや 下界浄めて 別世界』  (8月12日)
 埼玉地方に、突然の雷雨がやって来ました。地上の猛暑やコロナの憂鬱を洗い浄めるように、豪勢な雷鳴と豪雨でした。停電も瞬時起きましたが、これで、ちょっとは気持ちが晴れるような別世界が見えればいいのですが。そういえば、急に、少し涼しくなったような気がします。

『ウイルスは 心も食うか 盆の里』  (8月11日)
 ロナの地方への感染拡大が止まりません。楽しみにしていた孫たちの里帰りもままならなくなり、田舎でもがっかりしているのではないでしょうか。里帰りも墓参りも出来ず、お盆の時期の雰囲気がコロナによってめげそうになっている昨今、油断するとコロナは私たちの心にまで感染の触手を伸ばしそうな雰囲気です。負けないように、自戒しないといけませんね。

『それぞれの 過酷を耐えて 夏の花』  (8月10日)
 梅雨が明けて一気に猛暑になった昨今。散歩途中の路傍には、それぞれの環境に適応して夏の花々が、精一杯に花を咲かせています。猛暑の過酷な乾燥にも耐えて、咲いている花々に逆に励まされる感じがします。



夕日影 今日の暑さを 刻印す』  (8月9日)
 ギンギンに暑い一日でした。夕方、ウォーキングに出かけようとしても、まだ日中の余熱が残っているような感じです。お寺わきの遊歩道と塀には、夕陽の木陰がくっきりと、まるで刻印されたように映っていました。

『四百年 寺の歴史を 蝉しぐれ』  (8月8日)
 毎日、お参りしている近所の真言宗の寺。般若心経を唱えていると、周囲の木々から今を盛りと、様々な種類の蝉の声が降ってきます。お寺の歴史は400年、蝉の命は一週間。それを年々つないで歴史を紡いで来たのが、何か奇跡のようにも思えます。

『人の距離 月ほどになる 熱き夜』  (8月7日)
 熱帯夜で眠れずに起き出してベランダから月の写真を撮りました。眺めているうちに、そういえばずっと人と直接会ってしみじみとした話をしていないなあ、短時間リーモートで話しても、それはバーチャルでしかない、ということに気づきました。人との距離がはるかに離れてしまったような。眠っている住宅地にも、そんな人恋しさや寂しさ、孤独感といったものが覆っている気がします。コロナの夏の特異さでしょうか。

いつまで続く?一日一句 20.8.5

 コロナの感染拡大が止まらない。メディアではその日その日の新規感染者数をもとに、専門家、解説者、政治家、タレントたちがあれこれ議論を闘わせているが、この感染状況が続く限り、「人間とコロナの共存」は、考えれば考えるほど難しいことが分かって来る。衣食住に関わる生命維持的な経済活動は出来るにしても、人間にとって本質的に重要な、各地の祭り、花火大会、アーティストや芸能のイベント、スポーツ大会といった、文化・芸術に関わる分野が、最も「コロナとの共存」が難しい。これは、人間の精神的生存にとって大きな問題である。 

 これを考えると、目の前の感染拡大防止策だけでなく、もっと中長期的で総合的なコロナ対策を考えるべき時に来ているのではないか。今のような、その場しのぎの対策ではなく、向こう半年から一年を視野に、科学を中心とした専門知識を総動員した体制で、本格的にウイルスとの闘いに挑む。コロナを完全制圧する。そのためには何が必要か。中途半端な議論を繰り返すだけでなく、日本の英知を集めた専門家集団が、(治療薬やワクチン開発の他にも)世界に誇る拡大阻止戦略を研究して発表すべき時期かも知れない。別途、コラムの方で問題提起したい。

◆久しぶりに始めた写真俳句の一日一句
 さて、生活の方は、相変わらずの「Stay home」の中。ほぼ定まってきた日課を過ごしながら、目の前の一日一日を出来るだけ平穏無事に過ごすことを考えている。午前中の読書、昼食の後の昼寝、座禅、夕方のウォーキング、プランター野菜への水やり、などの日課である。その中でつい最近、始めたことがある。一日一句の写真俳句で、ウォーキングの途中で撮った写真などに俳句をつけて、毎日FBにアップする。まだ、10日ほどだが三日坊主は脱した。いつまで続くか分からないが、とりあえず最近のものをここに再録しておきたい。

『コロナ禍のロビーひっそりと暮れる夏』 (8月5日) 
 夕方、散歩の途中で久しぶりに遊水池に面した市民会館の中に入ってみました。緊急事態解除後に開館したとは知っていましたが、中に入ってみると冷房が効いて外とは大違い。しかし、その広いロビーは写真の通り、ソファーにソーシャルディスタンスの張り紙があって、誰もいません。コロナ禍の異常な状態を物語っているようでした。

『もの言わぬ草もいとしき夏の夕』 (8月4日)
 猛暑の夏が始まりました。日中は、外に出る気が起こらず、夕方になって川風が涼しくなる頃に、近くの元荒川の土手をウォーキングします。その前には、家で50分ほどの座禅を組むようになりましたが、気持ちが穏やかになって川べりを歩いていると、辺りの風景もふと穏やかな調和を見せることがあります。昼の厳しい暑さに耐えた草むらを夕陽が輝かせています。

『昼寝覚む日差しの外はいかばかり』 (8月3日)
 今回は、怠けて身の回り、というより昼寝から目が覚めてソファーから窓の外を眺めただけの句。すだれやよしずで遮られた室内は薄暗く、暑さもそれほどではありませんせんが、外の日差しは見るからに強烈で厳しそう。とても外出する気力がわきません。そんな平凡な句でした。

『それぞれの煩悩包み夏日入る』 (8月2日)
 梅雨が明けたとたんに暑くなった昨日。昼間の暑さを避けて、川風が涼しくなった夕方の元荒川の土手では様々な人々が歩いたり、走ったりしています。この時期だからこそ、それぞれが悩みや願いを胸に運動しているのだと思います。その思い(煩悩)を柔らかく包み込むように、夏の夕陽が川向こうに沈んでいきます。

『この先の見えざる不安梅雨明ける』 (8月1日)
 長かった今年の梅雨もようやく明けました。昔ならこれから海遊びが始まる楽しい夏でしたが、最近の夏はまず、地球温暖化による猛暑、酷暑、そして大型台風の襲来が気になります。加えて今年は、新型コロナの感染が。。心配は心配ですが、子どもの頃の楽しい夏休みの思い出を胸に、一日一日を無事に元気に過ごして行きたいですね。遊水池公園の噴水も上がり始めています。

『地下鉄を出て圧巻の蝉時雨』 (7月31日)
 昨日は、久しぶりに渋谷のNHK近くで打ち合わせ。コロナの新規感染が東京で463人を数えた日で、かなり緊張して千代田線に乗り、代々木公園駅から地上に出たとたん、辺り一面降りしきるような蝉の声に包まれました。一瞬、驚きましたが、見渡せば周りはこんもりとした木々。都会の真ん中での蝉時雨にしばし圧倒されました。いよいよ梅雨明けですね。

『夏草を茂らす力見えねども』 (7月30日)
 ウォーキングコースの元荒川の河川敷。2ヶ月ほど前にはきれいに苅られていたのに、あっという間にこの有様。生い茂る夏草の生命力に圧倒されます。その生命力もまた、宇宙のどこかから降り注いでいるのでしょうか。最初、その繁殖力の始まりに触れて『夏草も種一つから生い茂る』とやっていましたが、上の句になりました。あと数日で、猛暑の夏がやってきますね。

『水草の細胞分裂夏の池』 (7月29日)
 いつもウォーキングしている遊水池に今年もまた、水草が繁殖し始めました。梅雨明けが遅れていますが、これが猛暑の夏になると一気に水面全体を覆い尽くします。まるで、がん細胞の増殖のようですが、『水草はがん細胞か夏の池』だと、ちょっと情緒がないのでね。住み始めた20年前には見られなかった現象ですが、やはり地球温暖化のせいなのでしょうか?

『長梅雨に地元野菜の健気かな』 (7月28日)
 「Stay home」で、カミさんが作った買い物リストを持って近所のスーパーに買い出しに行くことが多くなりました。スーパーの一角には、地元農家が出荷する小さな「地元野菜コーナー」があって、新鮮なので、ここにあるときは大抵こちらで購入します。今年の長梅雨で野菜作りも大変だと思いますが、地元の農家さんも健気(けなげ)に頑張っています。



『長梅雨やコンビニコーヒー日課とす』 (7月27日)
 梅雨がなかなか明けない中、小さな日課が続いています。雨の様子を見て、歩いて数分の真言宗の寺で般若心経をあげ、さらに歩いて数分のコンビニで110円のキリマンジャロのコーヒーを買って、雨が上がっていれば、お寺に沿った遊歩道のベンチでゆっくりと飲みます。こんなひとときも、コロナの憂鬱を晴らすのに少しは役に立っているかも知れません。

『厨房のトマト密かに色づけり』 (7月26日)
 ことし初めてプランターにトマト、ナス、オクラを植えてみましたが、この長梅雨でトマトはなかなか色づかず、オクラはまだつぼみのまま。ナスはOKでした。待ちきれずに青いまま収穫したトマトが4日目にして、台所でいつの間にか赤く色づいていました。今日あたり食べてみようかな。

コロナの暗雲の下で淡々と 20.7.6

 6月19日に県をまたいだ移動も解除になり、これで少しはコロナの霧も晴れるかと思ったのも束の間、むしろ暗雲が垂れ込め始めた。地元の越谷でも新規感染者がじわじわと増え始めて、浮かれて出歩くわけにはいかない状況である。7月に入れば大丈夫だろうと、友人たちと一泊温泉ゴルフを2回分も企画していたが、結局はキャンセルになった。母の命日に水戸の墓参りをしようと思っていたが、これも東京勢は諦めて、弟に代表で行って貰うことに。そんな、なかなか気が晴れない梅雨空の近況を書いておきたい。

 相変わらずの自主的「Stay home」で、週2回ほどの会議はリモートで参加し、いくつかのオンライン雑談会も続いている。また、コロナの情報をウォッチングしながら、「メディアの風」にコラムを書く生活も何とか続けている。しかし、有り余る時間を先の見えないコロナのことばかり考えて過ごすのも気鬱で、前にも増して時間の過し方の工夫を迫られるようになった。ありきたりだが、その一つが読書というわけで、最近は、毎日「声の便り」を届けてくれる友人(彼の電話はかけ放題の月額2000円なのだそうだ)が、送ってくれた本と格闘している。

◆コロナの中での読書生活
 映画監督で読書家の彼が送ってきた本は、かなり骨が折れるものばかりだ。江戸時代初期の武士で禅を極めた鈴木正三の「驢鞍橋」(ろあんきょう)、本格的な解説書「老子」(福永光司)、そして「ひとりの男」(オリアーナ・ファラーチ)である。中でも「ひとりの男」は小さな字で書かれた上下二段の大著で530頁もある。1968年にギリシャの軍事独裁政権に抵抗するために暗殺未遂事件を起こしたアレクサンドロス・パナグリス(1939〜1976)について、イタリアの女性ジャーナリストで彼の恋人だったオリアーナ・ファラーチが書いた実録である。

 逮捕されたパナグリスは、死刑執行直前に国際世論の高まりで死刑を免れ、その後の長期にわたる独房の中で徹底的な拷問を受ける。脱走計画の失敗と再度の拷問のあと、ついに釈放されイタリアに亡命。軍事政権が倒れた直後に帰国して議員となり、軍事政権時代の罪状を暴こうとして、謎の死を遂げる。その人物像について、思想について、彼をインタビューしに行って恋に落ちたファラーチが書き残した。彼の死まで僅か3年ほどのつきあいだった。その間に、彼女は膨大かつ詳細な「ひとりの男」の物語を聞き取り、驚くべき文章力で作品にした。

 読書について言えばもう一つ、最近AmazonのKindleで本をダウンロードして読むことを始めた。こちらは、軽く読めるものばかりだ。往年の特異なSF「ソラリス」(スタニスラフ・レム)、「コロナ時代の僕ら」「雪の花」(吉村昭)、「死という最後の未来」(石原×曽野)、「しあわせの値段」(角野光代)など。そのほか、著作権が切れているものはタダで読める。Kindleにつきあっていると、何となく乱読になってしまう。友人が送ってきた「老子」と「驢鞍橋」は、読み始めたばかりだが、こちらはじっくりと読まなければいけないだろう。

◆カミさんの病院通いに付き合う
 いつものウォーキングコースでは、アヤメも紫陽花も終わり。代わりに遊水池には睡蓮と水草が勢力を増している。そうした植物相の変化を見ていると時間の流れを実感する。植物と言えば、妙に納得したことがある。家庭菜園をやっている友人たちに話を合わせるために、5月末に初めてプランター3つにナス、トマト、オクラの苗を植えてみた。それが1ヶ月あまりでみるみる大きくなり、花が咲き、先日はナスの第一号を収穫した。トマトも実をつけて赤くなり始めた。それをみて、さすがに品種改良が進んだ野菜の実力を実感したわけである。

 毎日確実に成長している野菜たちをみるのは楽しく、家庭菜園に病みつきになる友人たちの気持ちが分かるような気もする。さて、そんなことをしているうちに、カミさんの病院通いが始まった。去年の夏に胸の診察で気になるところが見つかったのだが、コロナを理由にずるずると先延ばしにしていた。それを再開したわけである。ところが直前になって再びコロナが増え始め、2人で都内の病院に行くのに結構緊張した。電車、地下鉄を乗り継いで行く。呼吸器系の病院なので、待合室では咳をする人が結構いて、ここでもかなり緊張した。 

 先生は「コロナを理由に来ない人が多いけれど、持病の方が大変なのに」と言っていたが、呼吸器系に疾患がある人にとって、コロナは恐怖に違いない。幸いにこちらは、それほどの自覚症状があるわけではないが、そういうこともあって、カミさんはコロナの感染状況に人並み以上に敏感になっている。コロナがこれから先、どのような展開を見せるのか分からないが、ともかく診察を再開したからには、結論が出るまで緊張感を持って病院通いをするしかない。別の検査機関も含めて、あと何度か都内に通うことになりそうだ。

◆一日一日を淡々と重ねて行く
 今の世界には、コロナのパンデミックによる影響だけでなく、心配すればきりがないほどの大問題が揃っている。米中覇権争いや北朝鮮の自爆的な行為による核戦争の恐れ、(未知のウイルスの出現も含めて)地球温暖化の様々な影響、特に日本で心配される巨大地震や巨大噴火、それに伴う原発事故の可能性など。50年と言わず、数十年の間にも、これらの幾つかは現実のものになるかも知れない。しかしそれは今心配しても仕方がない。今のところはコロナに感染しないように気をつけながら、一日一日を出来るだけ淡々と暮らしていくほかない。

 たとえ、それが物足りなく退屈に思えても、1年が過ぎ、来年の今頃になれば、また別の風景が見えてくるだろう。それが今よりいい風景であることを願いつつ、この退屈な日々に耐えていく。人生の最晩年に差し掛かって来ると、時にこのままでいいのかという“迷い”も起きてくるが、今は耐えることだ。たとえリモートでも、家族、きょうだい、友人とのお付き合いを大事にしながら、日々を重ねていく。温泉にも行きたいが、さしあたって1年。コロナが収まる日々を楽しみにして、その他のことは、あれこれ考えずに。

◆あまり淡々でカビが生える?
 そういう状況では、世間の情報に必要以上に振り回されないことが大事になる。今は世間では、現役の誰もがそれぞれのゲームを夢中で闘っている。政治家は政治家で、どう権力を維持するか、どう権力に近づくか、目の前のゲームに夢中だ。一方、社会的に何者でもない私などは、そういうことと全く接点がない。安倍政権によるコロナ対策のいい加減さや、最近の解散総選挙の策謀については、一市民として腹に据えかねるので、コラムの方に書いたりするが、それ以外のことには、(ワイドショーみたいに)些末な関心を持っても疲れるばかり。  

 最近は、そういう情報過多の世間から少しでも離れるために、夕方、短時間の座禅を組むようになった。丹田に気を入れながら、できる限りゆっくりと呼吸する。もう自分が死んでいると思って、死後なら何も考えないだろうと頭に浮かぶ想念を止める。なかなか無念無想とは行かないけれど、友人に言わせれば、「老子」の“道”も、禅に通じるものがあるらしい。こんな生活では、ついにはカビが生えるのではないかと思うが、当面は、コロナの過度の心配、災害のニュースにもあまり振り回されずに暮らして行きたい。その淡々さ加減が難しいけれど。