連日、目まぐるしく変わる関税政策で世界を振り回しているトランプ政権だが、その内政においても、過激な政策を次々と打ち出している。その最たるものが、イーロン・マスクが主導する政府効率化省(DOGE)による政府研究機関や大学に対する大胆な予算や人員の削減と補助金のカットである。表向きには政府の膨大な財政赤字の削減のためだが、これによってアメリカの国力に深刻な影響が出ることも懸念されている。それがどのくらい深刻なのか。今回は、トランプの内政の中でも、特に科学技術への攻撃がもたらすものに焦点を当ててみたい。
◆相次ぐ、科学技術部門への攻撃
イーロン・マスクによる科学技術に対する攻撃は、日本の常識からは想像できないほど過激なものである。例えば、NASA(米航空宇宙局)では、2026年度の予算が47%カット(75億ドルから39億ドルへ)されようとしており、これによって宇宙探査の様々なミッションが中止または延期に直面している。新たな宇宙望遠鏡の打ち上げ、金星の大気と地表の探査計画、火星サンプルリターン計画などである。さらに、NASA最大の科学拠点であるゴダード宇宙飛行センターの閉鎖も検討されていて、約1万人の雇用が失われるかもしれないという。
NOAA(米海洋大気庁)の大気研究部門の予算も65%削減されるという。これによって気候、天候、海洋研究の主要プログラムが廃止され、気候研究センターのほとんどの部署が閉鎖される。また、予算が3.24億ドル削減される国家海洋漁業局(NMFS)も他部局(魚類野生生物局)への統合を余儀なくされている。コロナ対策で目の敵にされたNIH(国立衛生局)とCDC(疾病対策センター)など13の保健機関では、計2万人の人員削減が進行中だ。これによって、感染症対策の研究の遅れや、危機対応能力の低下を招くことが心配されている。
◆声をあげる科学技術者、研究者たち
こうした動きに対して研究者の間には動揺が広がっている。今年3月、科学誌「ネイチャー」が実施した読者アンケート調査によれば米国内で研究する科学者(回答者1600人)のうち、75%(1200人)が現在の研究環境の不安から外国への移住を考えているという。この傾向は、大学院生や博士課程の学生など、特に若い研究者の間に広がっているが、一方で、カナダやフランスではそうした研究者の受け入れに力を入れ始めており、日本でも同様の議論が始まっている。一連の動きは国際的な科学研究の枠組みにも影響を与えることになりそうだ。
トランプ政権の乱暴な科学政策に対して、科学者や研究者、学生たちも抗議の声を上げ始めた。3月7日には、NY、ボストン、シカゴなど、全米の主要都市で抗議デモが行われ、4月初旬には、全米科学アカデミー、工学アカデミー、医学アカデミーの会員約1,900名による公開書簡が発表された。書簡では、トランプ政権による科学研究に対する攻撃と脅迫を列挙しながら、それが科学者を委縮させ、ひいては、アメリカの優位性を失わせ、他国が科学事業をリードすることになると指摘。そのダメ―ジの回復には何十年もかかると警告している。
◆トランプ政権の反・科学技術研究とその理由
この書簡には、2021年にノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎(プリンストン大学)を始めとして、著名なノーベル生理・医学賞、化学賞、物理学賞などの受賞者たち8人も名を連ね、米科学界からの「SOS」を発している。トランプ政権による攻撃は、大学にも及んでいる。その幾つかは民主党政権時代に進められたリベラルな教育(DEI=多様性、公平性、包括性)への敵視、あるいは反イスラエル的傾向に対する攻撃である。これによりプリンストン大学(気候研究)、ハーバード大学、コロンビア大学、ペンシルベニア大学などの補助金が停止された。
こうなるとある意味、どこかの強権的な国と同様に、アメリカでも思想信条の自由がなくなるのかと事態の急展開に理解が追いつかない感じだが、トランプ政権の過激な反・科学技術政策の背景には何があるのだろうか。その幾つかを項目的に上げてみたい。一つは、「小さな政府」、「市場重視」、「投資対効果」を重視する彼らには、科学技術機関やNASAやNIH、EPA(環境庁)などの研究部門は成果が見えにくく、それらを肥大化した官僚主義の温床と見なすからである。「民間の競争環境でこそ革新が生まれる」とイーロン・マスクは主張する。
◆思想的、価値観の違いによる研究への圧迫
「政府の研究は遅く、膨れ上がっており、緊急性に欠ける。革新は官僚からではなく、 俊敏なスタートアップから生まれる」(イーロン・マスク)という考え方からすると、国家による科学支援はむしろ「市場の邪魔」なのである。もう一つは、「気候変動は中国のでっち上げた神話だ」(トランプ2012年)に始まる地球温暖化に対する懐疑論である。パリ協定から再離脱(1月)したトランプは、協定がアメリカの価値観と合致せず、納税者に負担をかけるとし、州レベルの取り組みにも介入を試みる。従って、関連の研究が冷え込むのが避けられない状況だ。
さらに厄介なのが、思想的、価値観の違いによる研究への圧迫である。上記の大学がDEIに力を入れていることを理由に助成金が凍結されたり、反イスラエルを理由に撤回されたりしている。大学側は抗議しているが、この動きの影響は政府機関や法律事務所にまで及んでいる。また、DEI以外にも、女性や性的少数者の権利の教育を理由に資金停止もしている。過度の進歩的思想が反米的だというのである。人種差別、性差別、LGBTQ+の権利などなど、社会的不正義や差別に敏感な文化(Woke)や思想を、アメリカ的でないとするのがトランプ流なのだ。
◆国の削減が科学技術の研究に向かう時
一方、こうした思想的背景と同時に、過激な削減計画の理由とされているのが、国家財政の立て直しである。アメリカが抱える国の借金は34兆ドル(およそ5000兆円、日本は1200兆円)という膨大なものだ。対GDPでは日本の方が大きいが、国債の外国投資家の保有率は33%で日本(14%)より脆弱とも言える。これを変えて借金を減らすには、歳出を大胆に減らすというわけで、イーロン・マスクは当初、政府機関を4分の1に減らして年間5000億ドル(72兆円)も削減すると豪語していた。この極端な削減計画は、アメリカに何をもたらすのか。
こうした様々な理由があるにしろ、国の削減が科学技術の研究に向かう時に、 今度はどういうことが起こり得るかである。ご承知のように、科学技術は国のハードパワー(軍事技術など)とソフトパワー(経済競争力や国際的影響力)の両面の源泉であり、国家の未来を支える“見えない柱”でもある。そこがやせ細って行くとどうなるか。一つは、技術覇権の喪失。特に、AIや量子コンピュータ、再生エネルギー、宇宙探査などの分野で中国に後れを取ることもあり得る。あるいは、頭脳流出による空洞化である。こうしたことは軍事技術の優位性も脅かす。
◆それは自滅への道かも知れない
財政再建や反知性的な反感に駆られて、性急に科学技術の研究を削る時、何が起こるかについては、過去にソビエト連邦やイギリスの例がある。日本も失われた30年の間に大学に競争原理を持ち込み、基礎研究が疎かになった。費用対効果が見えにくい、官僚主義の温床だ、ということで短期的には国民の反エリート感情に迎合しようとしても、中長期的には国力を落として行く。国力が落ちれば、国の信用も下落して国債の利率が上がる。そうすると借金がますます増える。こうした負のスパイラルに入る可能性も指摘されている。どうするアメリカ?である。
国を支える見えない柱である科学技術分野への過激な削減は、一時的にはエリートに反感を持つ国民の喝さいを浴びるかも知れないが、中長期的には国力をそぎ、目指したところとは違う道につながる可能性がある。それは自滅への道かも知れない。日本もよくよく注意して、この動きを見て行く必要があるだろう。
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